71 History

- 珍車71誕生 -

 昭和50年、7000系9次車として、7101&7104は登場した。しかしこの時は中間車で、従来車に比べて、両開き戸の採用などの設計変更がなされたことから7100番台に名づけられただけに過ぎなかった。そして一緒に新製された仲間達と7000系の中間車として平穏に?過ごしていた。
 ところが、昭和59年、7000系の大幅な編成変更が行われ、中間車が余剰になった。しかしさすがは名鉄、その余剰になった中間車を集めて、新たに1編成を作るということになり、7101&7104は日車豊川に入場して先頭化改造を受け、装いも新たに7100系として生まれ変わった。そして中間には同じ9次車の7102+7103を組みこんで、ト7101+7102+7103+7104という綺麗な編成を組んだ。
 残りの9次車も順次改造されるという話も出ていたらしいが、結局はこの1編成で終わってしまい、1形式1編成という「珍車」が誕生してしまった。

- 71、2連化 -

 暫くは通し番号の綺麗な編成を組んでいた71だったが、昭和62年、編成変更で中間の7102+7103を7045Fに取られてしまう。この時、新たな補充もなかったので、2両編成になってしまった。今も4両のままだったら、三河線に封じ込めなんてされなかったかもしれないのだが、これも運命か。
 身軽になった71は本線を中心に活躍していく事になる。が、注目を集める出来事が起きた。7009Fト方7009が事故で損傷、しかし車両が不足していた時期だったため、苦肉の策として、ト7101+7104+7109+7110+7059+7010という編成で暫く運転された。ここで注目されるのは、普通こういった場合は広幅貫通ホロ対応の5519Fが入るところを71が入ったというところにある。当然、広幅貫通ホロ未対応の7104と7109との間は非貫通であった。

- 71特急仕業へ!? -

 71は両開き戸を装備しているせいか基本的に特急仕業には充当されず、「高速」が最高位の仕業となっていた。ところが、平成2年の改正で高速を廃止、特急が全車一般席車、一部指定席車、全車指定席車と3つに細分化され、指定席車は7000系白帯車以上とされたが一般席車については指定がなく、71も特急仕業につけることとなった。
 そして、全車一般席特急では71+7000系等といった編成が運転され、また、1000系と併結する一部指定席車特急は基本的に性能の都合から5700・5300系が用いられていたが、車両不足の時は71(一般席車)+1000系(指定席車)といった編成も見る事ができた。しかしこのような状態は1200系の増備につれて解消されていった。

- 三河の主へ -

 71は1編成しかないとあって、名鉄ファンなら1度はゲットしたい車両のひとつとなっていたが、運用は複雑怪奇で、本線にいたかと思えば次の週は犬山近辺に、などと追っかけるのには苦労する車両となっていた。しかしだんだんと三河線にいる事が多くなり、我々の中では「見かけなくなったら三河へ行け」のような言葉も出るくらいになっていった。
 そして平成13年春、ついにファンが恐れていた三河ワンマン化対応改造を受け、正式に?三河線の主となってしまった。この三河ワンマン化改造は、転落防止幌や前面に非常時用の取っ手取りつけなど、外観に変化の及ぶ改造がなされ、端正なスタイルが崩れてしまった。(他に、ドアチャイムやワンマン放送設定器取りつけetc.も行われた)
 現在、基本的には三河の主ながら、時折、本線に出てきて我々ファンを楽しませてくれる。そんな71、今度はどんな事をやってくれるのか、楽しみである。

- 71年表 -
1975.06.30 7101、日車豊川で生まれる。
1975.07.03 7104、日車豊川で生まれる。
1984.07.01 7101&7104、日車豊川で先頭化改造される。
1987.04 2両化
2001.03 三河ワンマン化(施行・舞木検査場)

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